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QUICK TRADINGのボス、寺島の日記です。

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F1デザイナーのEV自転車がやって来た!

今日からEV自転車痛勤。。。。は、しない。。。。

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F1のコンストラクターズでは誰も知らない者はいないマクラーレンのエンジニア、リチャード・ソープがデザイン設計したEV自転車“GO CYCLE”(ゴーサイクル)が、はるばる海を越えて空輸されてきました。
仕事として最高速が時速300km以上にもなるF1を設計していたが、彼の頭の中では常にもうひとつの技術的チャレンジがあり、それがこのEV折りたたみ電気自転車をつくることだったようです。
2002年に設立したロンドン南部のウォータールーに、カーボン・カイネティクス社を設立し、8年の歳月をついやして完成した物がこのゴーサイクル(Gocycle)」です。

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今やオンラインとディーラーであるジョン・ルイス&ベストバイを通じて日本円で約¥30万円(送料別)で販売されています。
この自転車は乗り手がペダルをこぐことなく、約20マイル(32km)走行することが可能である。充電時間は3時間。又12の国際特許も登録または申請中であり、随所に、レーシングカーのコンプトを取り込み、今までに無い、素晴らしくエレガントで高性能なEV自転車に仕上がっています。
皆さんも是非一度試乗なさっては如何でしょうか?

You Tube
https://www.youtube.com/watch?v=RB8bcK1ouiQ
イタリア車 教祖
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小林彰太郎 お別れの会

小林 彰太郎 お別れの会 2013年12月19日

本年10月28日 逝去されました、小林 彰太郎さんの”お別れの会”に行かせて頂きました。
12月19日(木曜日)都内、パレスホテル東京「葵」においてしめやかにとりおこなわれました。

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1929年11月12日 がお誕生日でしたのですが直前の逝去でした、亭年83歳。
正に日本の自動車雑誌を一から切り拓いたパイオノアであり日本の自動車産業の発展に少なからず影響を及ぼした方と誰もが認めるはずです。
CG(カーグラフック)の創始者であり、エデター/モータージャーナリストとしては余りにも有名であり、車好きの方なら一度はそのお名前を聞いた事があるはずです。

現在のCG(カーグラフック)を率いていらっしゃる加藤社長は永年、小林 彰太郎さんとCGを作り上げてきた方ですが、会場で頂いた、お礼状には次のように記していらっしゃいました。

「天寿を全うする」
この語句の正確な意味の用法も、実は恥ずかしながら知りません。
しかし、もしただ単に長生きするだけでなく、神に託されて使命を果たしたうえで天に召されることことを意味するのであれがば、CAR GRAPHICの創始者である小林 彰太郎名誉編集長は、まさに「天寿を全うした」というに相応しい人生を全速力で駆け抜けました。
幼少の時分から最大の情熱の対象であった自動車にのめり込み、エディター/モータージャーナリストの立場から理想的雑誌作りに邁進し続けた生前の姿。それが結果的に世界の、とりわけ日本の自動車産業の発展に影響を及ぼした事は間違いありません。

しかし人間、小林 彰太郎を衝き動かすその根底にあるのは、計算高いプロフェッショナルリズムでも、ましてや生臭い野心でもなく、読者に寄り添ったアマチュアリズム、子供のように純粋な好奇心と興味でした。故人のキャリアの半分を、傍で過ごしてきた私はそう固く信じています。
メディアをリードする者として常に襟を正し続けて高潔な進士は、それゆえ扱い難い一面を有した人でもありました。
あまりに理想主義的であるが故、時に頑固過ぎると感じる場面があったことも否定しません。

しかし同時に小林 彰太郎が高く掲げたこのスピリットこそがCGの原動力であり続けたことも事実です。
CGは時に破天荒で型破りだった故人の人生の縮図ともいえます。今後も我々はその精神を永遠に受け継いでいく所存です。
株式会社 カーグラフック  代表取締役社長 加藤 哲也


と結んでいらしゃいました。

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小林 彰太郎さんとはQuickを始めたころからのお付き合いですで、何と40年近い年月が流れたわけです。
また、純粋にお仕事のことだけでは無く、私自身がお世話になっている”ヘボス”での走行会にも何度となくご一緒させて頂き、サーキットをなどの走行をご一緒させて頂きました。そして走行会の前日は決まってホテルに泊まり、全員でお風呂、食事がきまりです、その後の飲み会は決まって車談義に熱が入り、たまにはアルコールの勢いもあって激論を交わす事も、たびたびでした。
メンバーの皆さんがとても強面なので、、、ポルシェミュージアムを作られた松田さん、ギャラリーABARTHの小坂さん、ガレージイタリアを作られた林さん、旺文社のオーナー赤尾さんポルシェクラブの会長をなさっていた小林さんポルシェのチューニングを日本で最初に手がけた中島さん、また富士スピードウエイでレース時の緊急対応で待機する、サーキットドクターだった矢島先生などお名前をあげれば上げればきりがありません。
また海外からも友人を招いてこのヘボス走行会に走って頂いた事も多々ありました、そんな中でも彰太郎さんは、持論を人に押付けずしかし自分の主張は絶対に曲げない、そんな楽しい時間が流れていた事を懐かしく思い起こしておりました。

また、ある時は大磯ロングビーチの駐車場でLANCIA クラブのミーティングがあった時に偶然、お会いした事がありました。ミーティングは宴たけなわでクラブ員の人達がイベントの真っ最中でした、その様子を高台の駐車場からじっと眺めて微笑んでいらっしゃいました、私もご一緒させて頂き、クラブイベントを目立たない場所から楽しませて頂いた事があります。

決して、奢らず、ご自身が目立つ事をせず、一人の車好きとしての目線で見ていらっしゃたと思っております。
何て素敵なことでしょう。そんな彰太郎さんは尊敬できる素晴らしい先人でした。
本当に残念なことなのですが、この現実を受け入れ、教えられた数々の知恵を理解できるよう頑張っていきたいと思っております。
本当に全力、全開の83年間、おつかれさまでした、安らかにお休み下さい!

寺島 誠一



もっともっと大空へ!!

もっともっと飛んでくれ!
なんて無理難題な励ましや!ナニーニの視線が○○だとかBBSにも書き込みがあって本当に沢山のご意見をもらったのじゃが!!!!!嬉しいやら何やら

この際だからもう少し 空の事を語ってみよかな!!!
普通の生活を普通に送っている時はあまり(全然)気にしないのがごく自然じゃが、実は空の上は大変複雑に込み合っておるんじゃなへりや飛行機は何処でも勝手気ままに飛んでいると思い気や、実は航空法(法律)で大変厳しく制限されているのじゃ!
なぜなら、これは国防に深く係っておるからで軍事と密接に連動しているのだよ。又、航空機を個人や法人が所有する場合、いまだに兵器扱いであり、過去の経歴に問題(犯罪や危険思想)が有ると判断されれば所有は出来ないのだ、なぜなら先般の9.11テロのように一旦飛び立った航空機は例え小型ヘリや軽飛行機でも空から攻撃されれば防ぐ手立てが非常に難しい、まして都市部や繁華街など密集地に飛来されれば映画の世界にように ミサイルで打ち落とすなど2次的被害を考えれば出来ないのが現状なのだ!まして小型機に有効な爆薬など搭載して目標に突っ込み自爆されたら、まず、阻止は不可能なのだよ、おおお怖い!
ま!恐怖事はこのくらいで実は教祖は
飛行機も飛ばせるのじゃや!

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       北海道 女満別空港にて 愛機 FA-200 エアロスバル

このエアロスバルFA-200は自家用機の中でも非常に良く出来た機体で小型機の傑作と言われているのじゃ!
設計、製作は 日本の航空機メーカーである富士重工業で製造された純国産機じゃな、小型機の代名詞と言えばセスナが直ぐに頭に浮かぶが、何とこのFA-200はそんな中途半端な小型機では無いぞ、何せ、基本設計は富士重工業の前進だある、中島飛行機http://www.ne.jp/asahi/airplane/museum/nakajima/naka-cont.htmlのエンジニアが戦後の再生を掛けて総力を挙げ作り上げた機体だから、当然中島飛行機時代のノウハウの基本データーを元にしておるのじゃな、簡単な一例が飛行機で一番肝心な翼の取付位置がセスナなどの小型機は高翼つまり胴体の上についているのじゃこれに対しFA-200はゼロ戦や隼のように低翼(胴体の下に取付られている)だ、これは飛行機の運動性能に大きく影響を与えている、急激な回転、上昇、下降といった機体に対する高加重に優れ抜群の運動性能を得られる。
航空機にはその耐久類別(普通N、実用U,曲技A)といってその航空機の運動性能によって類別されているがその3種全てを取得している小型機なのじゃな!勿論、操縦席はゼロ戦などと同じスライド式キャノピーが付いていてキャノピーを閉じた時でも操縦席から見える視界は360度なのじゃ!こんな凄い小型機を生産したスバルは偉いあれ!!スバルは イタリアじゃ無かったかな!
こんな小型機で自由気ままに大空を飛ぶ回るのは最高に壮快な気分になれる、しかし、道のりは”ちと”険しかった。
教祖が操縦訓練を始めて一番最初の関門であるSOLO FLIGHT(ソロフライト/単独飛行)の初飛行を行ったのは昭和59年4月30日じゃ!!これはどんなパイロットでも絶対に忘れられない超感動と緊張感の日だからじゃな!!単独初飛行、これは怖いぞ!!なにせ人の家の上を勝手に飛んで良いとはいえ誰も手助けしてくれない、今までは何か困れば隣にいる教官に”すいません”て言えばどうなかなったが、、、、何から何まで自分一人でやらにゃいかんのじゃから、、、頼れるのはたった自分一人、しかもミスは絶対に許されない、失敗は最悪、死を覚悟しなければならない。
道に迷った?空に迷ったからと言ってチョット止まって確かめるなんて出来ないのだから、高度を維持し、前方、左右に注意し、機軸がずれていないかコンパスを見、エンジン、機体に異常が無いか常に計器チェックをいれ、気流の変化(空は常に風向きや強さ、吹く方向が変化する)に対応する操縦をしながら自分のポジション(現在位置)を確かめ、進むべき正しい方向に飛ばさなくてはならない、しかも航空無線は常にキャッチしていなくてはいけない、いつ自分の機体が管制(航空局)から呼ばれるかもしれないし、自分の機体速度の何倍も速い航空機が接近するかもしれない、そんな緊張感がびんびん張り詰めて!!自分も持てる五感全てを出し切って飛ばなくてはならない!!
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記念のSolo FlightMemory
航空機の場合、テイクオフ(離陸)するまでは機体に問題があった場合は当然、整備の責任だ、しかし一旦飛び立てば、全ては機長の責任となる。だから、ランウエィ(滑走路)に進入許可が出て、進入前に一旦停止して最後のチェック(ファイナルチェック)をする時に、全ての状態において何か問題が無いかを判断し、離陸するか!中止をするか!最後の高度な決断を一瞬で決める事を要求されるのだ。
実は、この状況は、レースの状況ととっても似ているのだよ。同一のサーキットを走るにも天候や気温、路面の状態などは二度と同じ事は無いのだ、ましてマシーンに状態も何時も同一など有り得ない話で、常に”今”の状況を的確に掌握するかが大事だ。一瞬の判断や操作ミスは全て自分に降りかかってくる。これは全く言い訳の聞かない超現実的状況の究極であって、空、だろうが陸だろうがそうゆう意味で両者とも非常に近しいのだ!但し!りょうしゃの決定的な違いが一つだけある、空は”タンマ”が出来ない、つまりやり直しが出来ないのだ。はこの事は話し出すと長くなるので次回機会があったらまたねーーー!!なのだ!
その後キャビンの大きなセスナ172が愛機になったのじゃ!!

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セスナ172のコクピット
しかし、小型機のパイロットは豪快な諸先輩方がおおくいらっしゃって大変な武勇伝が多々あるのじゃな。教祖も一度花巻空港で、http://www.pref.iwate.jp/~hp1512/gaiyou/gaiyoutop.htm当時の東亜国内航空の定期便(乗客はほぼ満席)を上空で待たせて機体の問題が無いかローパスつまり管制塔から目視で着陸に支障ないかをチェックしてもらった事があるにのじゃ!!ひじょーに怖かった! 航空局には始末書だったけど、東亜国内航空のキャプテンに挨拶にいったら ”空の上では皆同じですよ、機体が大きい小さいじゃなく全て平等に大切ですから”嬉しいねーー、今は東亜は無くなってしまったけど、あの時のキャプテンは最高にカッコエーーーーーー!!!

どうじゃー大空に少しは興味を持ったか!!
イタリア車に乗る信者の皆さん、車ばかには、なるじゃないぞよイタリア人は何にでも興味を示しトライする、しかも楽しんでしまう、だから車以外にも興味を持つのだ!!
あ”またバカボンのパパになってしまった!