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イタ車教祖の言いたい放題!
QUICK TRADINGのボス、寺島の日記です。

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”NHK さわやか自然百景”???

たまには、せわしない都会の雑踏を離れ、自然界の雄大な情景に心を寄せてみませんか?

教祖の親戚縁者にはかなり変わり者が多いのですが!!その一人”平野 伸明”は教祖の従兄弟(いとこ)がいます。
彼は日本人としては珍しい、鳥類の撮影を得意とする映像カメラマンなのです。
とりわけ鷹などの猛禽類の自然界における撮影はかなり困難を要する為、なかなか良い映像が撮れないのですが
忍耐と努力で山の中に何ヶ月も閉じもってやっと撮影に成功した映像が評価され今ではその世界では、多くの方に知られる存在となっています。
まだ、ロシアが旧ソ連時代に日本人として始めてサハリンに入り現地の自然をカメラに収めた事も有名な話です。
その後、動画にも力を入れ、NHKとの共同作業でこれまた業界では初めての試みでハイジビョン撮影による自然界の撮影を成功させて一躍有名になりました。

彼の著書による取たちの書籍も多数出版されて居ます。
1990年03月 平凡社より発売された”優しき猛禽”はその代表作です。
他にも多数出版されています。   セブン ネットショッピング   などがネットショップでも販売されているようです。

今回のNHKとの共同作業により出来上がった作品が2012年01月29日(日曜日)午前7:45分から(NHK さわやか自然百景)鳥海山麓の森と題して放映される予定です。

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こんなすてきな情景がある日本を、あらためて堪能できるかもしれません!
すてきな日本に感謝!!

イタリア者 教祖

匠の世界!

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       匠 60年目のお祝い!

世界中どんな業界においても匠の技を持つ達人がいるものです。日本においても匠と呼ばれる人たちが多方面において活躍されているのです。
日本古来からの伝統に培われた技法や技術を代々継承して現代に蘇らせる伝統の技もあれば、現代のテクノロジーを駆使して創意工夫と確かな技術の積み重ねを経て生み出す匠の技は、時代や国を超えた世界の文化遺産である事に間違いありません。
2010年3月27日 東京都文京区にあるフォーシーズンズホテル東京で行われた一人の匠を祝う祝賀会に出席させて頂きました。

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*フォーシーズンズホテル東京 祝賀会会場控の間、数百人の方が詰め掛けていた*


入倉 徳明 氏  77歳 東京都板橋区在住であり、日本のジュエリー業界の発展に多大な功績と影響を与えた人物なのです。
氏は幼少より工作物の製作に才があり、青少年時代の工芸作品を見た叔父、入倉 栄三氏に見込まれ、その弟子としてこの道に入った。伝統的工芸の村松一門の系統である栄三氏に師事し、また名人と称された湯沢 伊助師にタガネを用いた金型の彫刻技術の指導を受け日本古来の伝統を学んだ。
素晴らしいのは伝統技法だけに執着せず近代の新しい技術であったロストワックスキャスティング技法を自ら研究して取り入れ業界の先駆者として新分野を切り開き、多くの作品を世に提供したのです。
多くのジュエリーコンテストに応募し、通産産業大臣賞をはじめ幾多の賞を得た。現在でも現役としてジュエリー創作展に果敢に応募し、受賞暦を更新している正に現役のジュエリー業界における匠なのです。

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*会場のひな壇右側にいらっしゃる入倉ご夫妻と左側には黄綬褒章が*

氏の素晴らしい事は、自身の技術の向上は勿論の事、ジュエリーを製造する業界発展の為に多大な尽力と活動を行っている事なのです。
今に至る、貴金属装身具の技能検定制度(昭和48年発足)の準備段階からこの制度に大きく関わり、制度の実施、運用に貢献し自ら技能検定委員を務め業界の健全な発展に寄与すると共に、東京貴金属職業能力開発協議会(現。東京貴金属検定協議会)の会長を務め受験啓発と受験者に対する講習会などを開催し、ジュエリー製作者の技能検定に対する意義を大いに高めた事なのです。
また、ジュエリー業界団体等への功績も多大であり、昭和37年創立の日本貴金属文化工芸共同組合の基板確立に貢献し昭和41年理事就任以来、支部長、技術部長、青年部長、専務理事、副理事を経て平成元年に理事長に就任し現在は相談役と要職を歴任し、同組合の発展に貢献をしました。
そして現在日本でジュエリー販売手がける会社が必ず加入している団体である、社団法人日本ジュエリー協会でも、役員、理事などを歴任し業界発展の為に多大な貢献を寄与していらっしゃいます。
勿論、子弟の育成にも精力的に努め後進の指導育成に多大な功績を残しています。近年はその活動を広く一般に認知させるべく、東京都立品川技術専門校が平成3年度に開設したジュエリー科への開設に協力し講師の派遣や直接的な技術指導などに協力し現在までに延べ600名以上が指導を受け技術の向上に寄与しているのです。

このような素晴らしい活動、活躍を認められて平成20年度、日本が誇る“現代の名工”(卓越した技能者)に晴れて選ばれ、関係各所よりお褒めをいただき、素晴らしいこの大賞を頂いたのです。
喜ばしい事は続くものでこの“現代の名工”を受賞した後に、思いもしなかった、更に素晴らしい事が更に起ったのです。
ジュエリー業界では非常に珍しいく滅多に頂けない勲章です。
“黄綬褒章”を頂いたのです。

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*天皇陛下より直接承った黄綬褒章と賞状”日本国天皇は”のお言葉から始まる*

一般的に良く知られている“紫綬褒章”が芸術の功労者に対して贈られる勲章ならば“黄綬褒章”は正に技術の匠に対して贈られる技術勲章なのです。ジュエリー製造一筋に60年 77歳の年齢にも関わらず今、尚、現役でいる事がどんなに素晴らしい事か、業界の違いがあっても賞賛と感動を感じずにはいられません。
“黄綬褒章”は天皇陛下より承る高貴であり、また崇高な勲章です。勲章の授与は皇居において、天皇陛下より直接頂いたのです。このような経緯があってこのほど業界関係者及び業界団体が主体となって“黄綬褒章”受賞祝賀会が執り行われる事となったのです。

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*社団法人日本ジュエリー協会 元会長 加藤 英高氏による祝杯*

色々な論評はさて置き物事どうせやるなら、とことん追い詰めて日本中、いや世界の人に認めてもらう事が出来たら、それはそれは“職人冥利”現代風なら“技術屋冥利”に尽きると思うのは教祖だけでしょうか!!!
このような御めでたい席では当然、数多くの来賓の方々がいらっしゃいました。ジュエリー業界の方々は勿論の事、著名なデザイナー、輸出入貿易関連、お弟子さん、国会議員、都議会議員、区議会の議員の先生方、そして、匠が工房を構える板橋区の区長さんもご出席されて祝辞を述べていらっしゃいました。その中で教祖が感銘を受けた祝辞をなさった方がおりました。衆議院議員”下村 博文”氏氏の祝辞です。

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*衆議院議員"下村 博文” 氏の祝辞スピーチ* 

自民党政権時代には内閣官房副長官に就任されており日本の政治の根源に精通していらっしゃる下村 博文氏のお言葉の中に、21世紀の日本が世界で生き抜いて行く為には今、何が問われているか?でした、資源が無く国土を海に囲まれており、世界のどの国家、民族にも属さない、言語と習慣を持った独特の国家、日本が生き延びるには、日本の1000年にも及ぶ独自文化を中心に据え、卓越した技術を使いこなす匠の技とを組み合わせ、世界に類を見ない独創性の技術文化を輸出して行くしかない、もはや、1団体や業界が自重努力するには限界であり、いまや国家が支援して行くべき時代に突入したのではないか!とのお言葉でした。正にそう思ってしまったのは教祖だけでは無いはずです!


ここで大いなる疑問が生じるのです?何ゆえメカニックは勲章が頂けないないのでしょうか?レーサーしかり、塗装屋しかり、板金屋しかり、カーショップしかり!!!そうQuickもこの道35年なのですが!!!誠に残念ながら、かけらも対象にはならないようです(当たり前か残念)!日本におけるイタリヤ車の匠ならぬ“企み”を考えてイタリア車と日本の文化をうまくミックスさせ、世界中で日本にだけにしか無い独自の表現を出してみたい物だと思った一日でした。

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*黄綬褒章受賞”の入倉 徳明 氏ご夫妻と教祖の記念カット*


最後に、ジュエリー業界の匠である”入倉 徳明” 実は教祖の親戚であり叔父なのです!このような素晴らしい功績を残された事に敬意を覚えます、本当におめでとうございました。


おまけ!
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*黄綬褒章受賞祝賀会出席者全員に、匠デザインの龍が贈られた、ルビーの目が可愛い*

突然の訪問!

それは何の前触れも無く訪れた、実に25年ぶりの再会でした。

煩雑な仕事も一段落した夕刻、精悍な顔つきの男性が突然私を訪ねてきた!
丁重なご挨拶を頂いたが、記憶メモリーのファイルは瞬時に彼が誰なのか?プロフィールを検索できないで戸惑っていたが、数分後やっと自身のメモリーファイルが開いた。
レーシングドライバー“古谷 直弘”その人だったのだ!

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“古谷 直弘”1980年よりカートでレース活動を始める。国内ツーリングカーやフォーミュラで武者修行して頭角を現しはじめた。1986年に国内レース活動を一段落させ本場のレースを経験したいと一念発起して単身イタリアへレース修行に行く。1987年イタリアF2000で念願のヨーロッパ戦デビューを果たし、数々の優勝を含め優秀な成績を残した。1988年はF2000の他にF3、ツーリングカー、フォーミュラ・アルファ等を多数の入賞や優勝を飾り、1989年に帰国する。日本に帰国してからは、同年から全日本F3に参戦を開始して国内レースに再び挑戦するする。1990年全日本F3でシリーズ2位、1991年にはF3000にステップアップする。1994年からは全日本GT選手権にも参戦1998年からイタリアの闘牛であるランボルギーニディアブロでレース活動ランボルギーニディアブロでレース活動を開始する。

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ティーム“JLOC”はランボルギーニ、オーナーズクラブ及び日本ランボルギーニ社が組織するレーシングチームであり、全日本GT選手権へのレギュラー参戦の他、ジャパンマルチチャレンジやルマン24時間レースなどに参戦している異色のレースングチームであり、そのメインドライバーも勤めた。
現在も現役で数々のレースに出場して素晴らしい活躍をしていると同時に、これからのレーシングドライバーの育成に関わるドライバースクールの事業にも力を入れている。
また、豊富な経験を踏まえ、数々のドライビング、イストラクターも手がける、
代表的な、ランボルギーニ・ドライビング・エクスペリエンス、やポルシェのチューナーで有名なルーフ社の日本総代理店である日本ルーフ(石田 エンジニアリング)BOXドライビングレッスン、ウィンズレーシングスクール、サーキットクラブ・チーター、FETミーティング、桶川スポーツランド、ジャパンレーシングスクール、など多数のインストラクターをこなしているスーパーマルチドライバーなのです。
そしてドライバーだけの才覚では納まらず、イタリア語が堪能な事は勿論の事そのモデルもした事のある甘いマスクの男前でありTV、雑誌などの出演など露出は数限りない。当然ファンクラブも結成されており多数のファンがいるのです。

そんな“古谷 直弘”が何故Quickにしかも教祖と何の関係が!!!
実はほんの少し彼の心に中に立ち入った事があったのです、しかも25年も前の事でした。
国内レースでメキメキ腕を上げて、更に飛躍しようと頑張っていたその頃、国内の常識として、ワークス(自動車メーカーチーム)以外は、レースで良い成績を上げるには当然、良いレースカー(勝てる)を手に入れ事が勝利への道である事は当然です、その勝てるレースカーを手に入れるには莫大な資金が必要となります、上を目指せば目指すほど、エスカレートするのです。当時は実際の腕前よりも資金的に恵まれたチームが良い成績を出せた時代でありスポンサーを獲得できるドライバーが早く走れる傾向が強かった事情がある、そんな日本では優秀なドライバーが中々育たない環境だったので、ドライバーの慣性を大切に扱ってくれるヨーロッパで腕試ししたいと思う血気盛んな若手ドライバーが沢山いたのです。彼もそんな一人だったのですが、他の人と違った事は
現状に甘んじて満足せず、自分の可能性と夢を実現すべく、実際に行動を取った事です。たったそれだけの違いが25年の歳月を駆け抜けて今、開花したのだと思います。
教祖はそのきっかけのお手伝いを、ほんの少し関わらせて頂いたようです。
そう彼が思ってくれて25年間、心のどこかに閉まっておいた忘れ物を取りに来てきれた事は凄く嬉しく思うと共に忘れなかった事に感謝です。これからも素晴らしい活躍をして頂く事を願わずにはいられません。
何事においても最後は人と人の関わりが一番大切ではないでしょうか!長くて短い人生で、だれしもが必ず自分に影響を与える人と出会っているのです。
それは、一瞬の時間かもしれないし、末永――く関わるのかもしれないし!!
教祖にしても、大教祖様と出会わなければABARTHやALFAなどのイタリア車とこんなに深く関わらなかったかもしれません。
幸か不幸か、出会ってしまいサソリの毒を注入されてしまった!!(痛い)

PS:“古谷 直弘”ブログにもQuick訪問記事をのせてくれていました!






悲しいできごと 2009!

悲しい知らせ!

2009年12月、今年もそろそろ終わりにさしかかり、1年の締め括りをあれこれ考えていたり、2009年度最後のレースであるIdlersが主催しツインリンク茂木で行われる耐久レースの準備に翻弄されていた時に、突然飛び込んできた悲報!
公私共に、永年お世話になってきたと同時にモータースポーツの良き理解者であり人生の良き先輩でもあった方が闘病生活の末、永眠されたと!!享年68歳


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小関 典幸 通称オヤブンと呼ばせて頂いておりました。その気質と風貌から誰からも「オヤブン」と称され親しまれた、知る人ぞしる方であり、スバルのモータースポーツ部門を今日まで育て上げた立役者と言っても過言ではありません。
1963年に行われた第1回 日本グランプリに大久保 力さんと共にスバル450で挑戦して見事完走し以後、第2回 日本グランプリではクラス2位入賞を果たしました。
1967年から水平対抗エンジンを搭載したスバル1000で耐久レースなどに出場すると共に、モータースポーツの底辺拡大と車の楽しさを共有する事を一般にアピールする目的で1969年に上州オートクラブを設立し、クラブを通じてモータースポーツの育成に力を注ぐと共に自らは積極的にモタースポーツ活動を展開しました。1966年の第8回日本アルペンラリーoyabun-08.jpg
にスバル1000で出場し、総合3位に入賞するのを初め数々のレース&ラリーに出場します、そしてその主戦場を国内から海外シフトして行き1974年にレオーネでバハ1000キロに出場したのを皮切りに、翌年1975年にもバハ1000キロそしてサザンクロスラリーに出場、更に1977年にはレオーネでロンドン~シドニー3万キロラリーに高岡祥郎氏、岡崎宏司氏と共に参戦し見事完走を果たしました。
1979年には現在のスバルモータースポーツの中核であるSTI(スバルテクニカインターナショナル)の前進であるスバルモータースポーツグループ(SMSG)から、レオーネスイングバックでサファリラリーに出場するなど国際的なイベントに挑戦して多くの人々と感動を分かち合ってきたのです。
また1989年には米国アリゾナにおいてスバルを使用しての10万キロ速度記録を参画し自らドライバーとしてこの記録挑戦に立ち向かうなどして、内外を問わず数々のモーターイベントにスバルで積極的に参戦し現在あるスバルのモ-タースポーツメーカーとしてのイメージを築き上げた方なのです。

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お通夜がとり行われる葬儀会場に急遽向かう為、全ての予定をキャンセルして一路、東北自動車道の館林インターを経由して群馬県太田市をめざした。
これまでのお世話になった事や楽しくも厳しかった事など、色々な事を考えながら愛車であるALFA ROMEO GTVを走らせる、定刻の時間に間に合うか車中で気をもんでしまい、ついついアクセルに力が入ってしまい!ふと気ずけば危険領域なスピードが出ていた!東北自動車道は何度となく利用しているルートであるし最近の茂木サーキットで行われるレースには必ずこのルートを使っていたので慣れた道のりではあったのですが、この日は凄く緊張していて何かドライビングに集中できていなかった、おりしもこの季節には珍しく大雨に見舞われ視界も悪く最悪のコンディションでした。まるで天候までが、オヤブンの悲報を悲しんでいるかのように!

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東北自動車道の高速道路から一般道を乗り継ぎ会場を目指す途中、大田の富士重工業が見えてくると、学生時代にスバル1000を駆って大磯ロングビーチや狭山の駐車場で行われていたジムカーナーのイベントに参加した頃の思い出が鮮明によみがえってきました。 この頃にオヤブンと知り合い以後、永きに渡ってご指導頂いてきました。
会場に無事到着してSTIの関係者や昔のレース仲間を探して話を伺おうと思って、何人かの関係者には会えたのですが、みな鎮痛な面持ちで言葉少なく!また、富士重工業の役員など企業関係の方々で会場が混雑していた事もあり祭壇に手を合わせてお別れをするのが精一杯でした。
そんな葬儀の中でやっぱり小関のオヤブンだ!と思わず口にしたのが会場に設けられた生前の活躍を紹介するコーナーがあった事です。レーシングスーツにヘルメットを着装していている姿のディスプレーは、まるで参列者一人一人に”元気だったか、よく来てくれたな”って語りかけているようで!!オヤブンをよく知る者としては、結構辛いものがありました。

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そして会場の入り口にはオヤブンが一番、大切にしていたスバルのラリーカーが雨の中にそっと、たたずんでいました。主のいなくなった車は何となく寂しそうに思えたのは私だけだったでしょうか?
車は普通の考え方でいけば、ただの工業製品、人を乗せて便利に移動する乗り物、そんな定義の物で、それ以上でも、それ以下でもありません。
他方、ただの工業製品である車が、ある時点からその車を所有する者の一部となり、自分のヒストリーとなり、自分の代弁者になり、自分の友達であり、自分の恋人や妻となり、自分の子供と同じ存在になるのです。
何事においても物事を一貫してつらぬいていく事は非常に大変であり、困難や失敗が襲ってきて挫折する事が多いのです。しかし貫き通した者だけが得られる大きな感動と充実感そしてなによりのご褒美は自分のヒストリーを車と共に作る事が出来る喜びでではないでしょうか。正に小関のオヤブンはスバル一筋を貫き通した方でありスバルに人生を捧げたと言っても過言では無いと思います。そして今、永遠の旅立ちをしたこの瞬間から小関ストーリーが永遠に語り継がれていくのです。

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1990年サファリラリーにてマルク・アレンと。
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教祖はスバルとは縁があってその紀元はQuickの創設にまで及ぶのです。
QUICKのスタートは現在の板橋区高島平では無く練馬区の大泉学園にショールームを構えてのスタートでした。
場所は大泉学園通りと関越高速道路が交差する付近の高級住宅地でした!ショップもかなり立派な社屋で当時としては斬新なショップだったのです。
実はこのショップは教祖の友人と二人で構想を練り上げ、実現させた経緯があったのです。
その友人とは学生時代からの遊び仲間であり車大好き人間であり良き友人であり、共通の思考を持てた事がショップを開設する原動力となったのですが、友人と教祖がチョット違っていたのはお互いの車種好みが違ったのです。彼はドイツ車党、特にポルシェが大好き、他方、教祖はイタ車党ABARTH大好き人間でお互いに譲れない一線があったのです。ならば1つの社屋でドイツ車もイタ車も両方やってしまおうと、ショップの中をイタ車コーナーとドイツ車コーナーに分けて設定し、いらっしゃって頂いたお客様には一体感のある演出をすればお互いの良い部分が相互作用でプラスになると考えてスタートしたのです。今で言う共同経営をすればと言う案もあったのですが、それぞれのスポンサーである両親が共同経営だけは絶対にダメという条件を課せられていたので試行錯誤の末にこの折衷案が採用されたのです。(笑い)その友人がスバルとは大変密接な関係があったのです。
元々スバルは富士重工で生産されていますが富士重工業の前進は太平洋戦争で敗戦となった時に占領軍であるGHQにより解体された中島飛行機がその原点なのです。その中島飛行機を創設した人物が中島知久平であり弟と共に兄弟で作り上げた飛行機会社が中島飛行機でした。そしてその父系の一つがスバルの富士重工業なのです。
ショップを一緒に始めた友人はこの中島飛行機の創設者である中島知久平さんの弟の子供である中島清隆氏とスターとしたのです。したがってスバルとは一般的なお付き合いでは無く一歩踏み込んだお付き合いがあったのです。

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スタート直後の工場 
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輸入したX/9後方にポルシェが!
この大泉学園にオープンしたショップには実に色々な人たちが出入していました.
そしていつの日か自分の道を見つけて大いなるチャレンジしていったのです。このころはみんな"クソガキ”だったんです。生意気で世間知らずで、ただ自分の主義主張を言い合って、でも大いなる希望と欲望がありました、そしてその将来の夢を実現すべく熱く語ったのです!!そうしてそれぞれが自分の道を突き進んでいったのです。

小関のオヤブンのように。安らかにお永眠下さい。合掌

【第1部】終了
PS:このテーマは第二部を予定しております。最近は雑用に追われる日々で中々ブログの更新が出来ず、皆様からお叱りを頂戴いしております。頑張っていきたいと思っておりますので応援宜しくお願い致します。

チョットSUBARUな?イタリア車教祖!!



お食事会!

 食事会じゃー!!

2008年もやっと スターートした1月に入って、ごく内輪の 友人だけで定期的に集まって、 美味しい、お食事を頂きながら、 車談義?に花咲かせる、恒例の食事会があったのじゃー!!
昨年の12月にも 忘年会なる事をしたばっかり?なのじゃが!!!!
教祖が教えやご指導を頂く 大教祖様方 (話がややこやしいが要するに教祖の先生じゃ!) もいらっしゃるので教祖といえども緊張するのじゃーーーーー!!たあーいへんですうーー!
その大教祖様のお一人が今回ご自身の車に対する考えを、ご自分なりに一冊の本として 出版なされた、そのお披露目も兼ねての、お食事会だったのじゃな!どうじゃーすばらしいじゃろーー!!
あまりに、素晴らしい本なので、信者の皆さんにも (チョトダケヨーーー)その中をチラ見させてしんぜよーー!教祖の信者に対する思いは、何と心の広い慈悲に満ちた心なのだろうか!


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タイトルはズバリ SOKICHI SHIKIBA on Modern Super Car  じゃー!
凄い!!表紙からしてそこいらの雑誌と違うのじゃな!なんと!!ステンレスのような金属感覚で、出来ているのじゃ!! ビッツツクリーーー  更に凄いいいい?のは、編集に関わった、方々、編集チーフはナビの編集長を永くおやりになり現在はENGINEの編集長である鈴木 正文氏  同じくナビのからENGINEの副編集長になった今尾 直樹氏  が編集しアートディレクターはダイヤモンドヘズの横山 修一氏 と熊捕 直人氏 が担当する超豪華キャスティングなのじゃ!

式場 壮吉 氏って誰!! ばっかもん!!!そんな不謹慎な信者はいないと思うが、、信者以外の者の為に氏の簡単なプロフィールを紹介してしんぜよう!!
 式場 壮吉 1963年の第1回、翌年の第2回の日本グランプリで鮮やかな優勝を飾ったあと、サーキットカら忽然と消えてしまった伝説のレーシングドライバーじゃー。
第2回日本グランプリではポルシェ904GTSを駆って、生沢 轍 氏のスカイラインGTBとデットヒートを演じたのじゃな!これが後のスカイライン神話の発祥となり今日に至っておるのじゃ!  日本における本格的なモータースポーツを切り開いた立役者のお一人である事は紛れも無い事実なのじゃ!
そんな言い方をすると過去の栄光に輝く方のように聞こえてしまうが、それはとんでもない勘違い、現在も公私共に現役でバリバリご活躍されている  スーパーリッチマンなのだ!
とりわけ現在も雑誌ENGINEに各種のカーロードインプレッションを寄稿しており第一級のジャーナリストであると同時に、カーマニアとしても大変な存在なのじゃ!何が大変てそりゃー大変なのじゃよ、フェラーリ、ポルシェの新旧タイプなんてのは当たり前であってロールス、メルセデス、ジャガー、ALFAなどはさらっと!何とブガッティEB110エンツオフェラーリも所有なさっているのじゃ!!
まだ、あるぞー、その趣味の世界も多彩で素晴らしく、バイク、自転車  船はもとより  カメラやゴルフワイン、シャンパン葉巻の類に及び音楽に至たってはプロ並でその多彩な才能が伺えるのじゃ!
 更に!音楽に関しては、その世界に精通しているはずもはずで、奥様は皆さん良くご存知の  歌手でいらっしゃる 欧陽菲菲 さんなのじゃ!
 正に男の美学を貫いているような方なのじゃ! すばらしーーーー!!
そんな式場さんが車を通じて描いた一つの哲学が今回の本と言えるのじゃな!


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ご自身のエンツオフェラーリについて書かれいるページ!

一緒にいるのは?  イタリア高級ワインの代表作ロマネ、コンティ社のロマネ、コンティ
 氏いわく”エンツオフェラーリの走りに酔いしれると同じ余韻が伝わるワインそれがこのロマネ、コンティといわざるえないだろう!!”と!すすっごいーーー教祖には良く解からない世界じゃーー!

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お気に入りのMVアグスターは危険なじゃじゃ馬娘 


2輪車の  フェラーリと言われるMVアグスタご自身が乗り回したロードフィーリングを通してMVアグスターの素晴らしさや、エンジンメンテナンスでお世話になった  ポップ吉村(昔は吉村ホンダで通していた)師匠との関わりなど述べているのじゃ!
 おおーそう言えば、吉村のおやじさん(教祖の時代はそう呼んでいた)から言われて、教祖の大事な  LANCIAストラトスをスタッフだった  K林君に譲ったのを思い出した!!K林君はマフラー作りの職人で、当時吉村チューンのレーシイングマフラーは一つ一つ職人が手曲げで製作していた、優秀な職人たちの技が当時のレースチューンの要じゃったのじゃ!K林ーー!教祖が譲ったLANCIAストラトスは元気かーーー??
 教祖が所有していたLANCIAストラトスは当時の自動車雑誌MOTORマガジン(1984年4月号)の表紙を飾ったのじゃ、どうじゃ凄いじゃろー!  全然凄くない! 
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LANCIAストラトスに関しては色々な思い出があるのー!
丁度この頃ストラトスが  世界規模でブームになり世界中に散らばってしまったストラトスを追跡調査し、所有者を調べ、世界規模のストラトスオーナーズミーティングを開催しようとしていたのじゃ!勿論、日本にも調査の方がわざわざ来日され、教祖もお会いしたのじゃ!!(その時の写真が何処かへ行方不明になってしまった!)当時のLANCIAストラトスオーナーで教祖が衝撃を受けた人物がいたのじゃ!  何とクラッシク界の巨匠  フェルベルトフォン カラヤン氏なのじゃ!ジャジャジャ ---ジャン??カラヤン氏は  イタリア車をこよなく  愛していたのじゃ!解かるか巨匠じゃぞ巨匠?  小象じゃないぞ! 



 そして最後はやはり車とミュージックの関係を書いていらっしゃる!
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ハイパワー車はジャズ聴きながらユックリ走らさせる美学!

 かっこいーーーー!!何と言うお言葉!!正に美学!  パワーパワーと口を揃えてパクパクしているのと次元が違う余裕のお言葉です。
そんなありがたーーーい!  SOKICHI SHIKBA on Modern Super Car なのじゃー! 


おまけ 
今回の  お食事会は料理の達人シェフ小沢氏が営業なさっている、白金にあるレストラント”おざわ”で頂きました!  美味しかった!
メンバーは10人前後でしたが、いつもの事ながら多彩なメンバーがいらっしゃり楽しい、お食事会でした。メインのお料を頂いた頃、突然教祖の後ろから  聞きなれた声がするのです。テーブルを挟んで丁度、教祖の前に式場さんがいらっしゃったたので教祖の頭を超えて式場さんにご挨拶をしているのです。振り向くと何と  鈴木アグリさんがいらっしゃっていたのでした!世界を転戦してきた証か?真っ黒に日焼けして一段とかっこ良さが増した感じでした!
OFFで日本に戻っていたのです、ご家族で食事しにいらっしゃていたのです、偶然、我々と遭遇したのですが、大先輩でいらっしゃる式場さんに帰り際、ご挨拶されていました!教祖もアグリさんとは久々だったので思わず久しぶりーーーって自然と  握手なんかしちゃったんですが!はははーー!ちとミーハーだったかな?